しっかりとした志という土台の上にたてる家は安定しているだろうが、なければ…
聖天様は大日如来最後の方便身と言われております。
それは前にも申しましたが、物質的、俗な願いであっても聞いて頂きやすいからです。
ではなぜ聞いて頂けるのでしょう?
それは最初はご利益目的であっても、それが叶ったことがきっかけで仏教、信仰というものに目を向けて欲しいとお考えだからです。
体験的にですが、聖天様は子供のように優しいお方です。
「こやつはこれが欲しいのだな。そうかそうか、プレゼントしてやろう。」
というようにサプライズ精神満載のお方です。
聖天様はご存知でしょうが、正式には大聖歓喜天です。つまり喜んでもらうことを歓ぶ神様なんです。
しかし、それに甘えると後々凄く痛い目に合います。
自分のことは改善しようとせず、
「これも叶えてもらおうあれも叶えてもらおう」

そして挙げ句の果てには
「これは俺の実力で勝ち取ったものだ!」
と増上慢に陥ります。
そうなってしまうと、もうおしまいです。
聖天様は、「コイツはどうしようもない愚か者だな。分からせてやろう。」とギラッと一変されます。
聖天様は毘那夜迦(ビナヤキャ)という常随魔の親分です。
常随魔とは、人間の影に常におり、隙を伺っている魔物です。その魔物が好き勝手に暴れ出します。
ドラえもんではなく喪黒福造ですね。

ココロのスキマをお埋め致しますと近づき、夢が叶う直前、あるいは叶った後にどん底に突き落とします。 高い所に登っている最中にハシゴをガッと外されてしまいます。
欲に目が眩んで身を滅ぼした人間ってホントに悲惨でしかありません。
話に聞くと死ぬこともあるようです。
聖天様はそのようなこともされるお方です。
だから恐い神様と言われるのです。
しかし、もとはと言えば人間が悪いのです。
志をもち、あるいは最初にはそういうものがなかったとしても、後々仏教に目を向け、自利利他の心で生きようとすればまずそういうことにはなりません。
そのプロセス抜きに聖天さんの恐い所がクローズアップされるから。「聖天には近づいてはならない」と巷では言われるんですね。
失礼この上ないことだと思います。
ただ、本当に恐いですよ。経験的に(苦笑)